プロフィール

北野裕子
1985年9月19日生まれ
京都府京都市出身
京都明徳高等学校商業科卒業
携帯電話販売会社や
夫が経営するイベント会社で
経理として勤務する。
2020年に滋賀県守山市へ移住、
PTA会長を経験。
2024年、第50回衆議院議員総選挙で
滋賀第3区から参政党公認候補として出馬する。
比例近畿ブロックで初当選。
参政党ボードメンバー
環境委員会所属
My history
幼少期

飲食店を経営する両親の元に4人姉妹の長女として私は生まれ、育ちました。
当時の景気は今ほど悪くなく、両親の経営する飲食店の経営もうまくいっていました。
沢山の大人に可愛がってもらいながら幼少期を過ごしました。
しかし、バブルが崩壊した1990年あたりから、我が家の生活は一変していきました。
小学生時代

景気が厳しくなるにつれ、両親の喧嘩は増え、お酒とギャンブルで家庭内は徐々に険悪な雰囲気に・・・。
それでも両親は私たち4人を育てるために必死働いてくれていたことを小学生ながらに理解していました。
その頃の私は宿題もほとんどやらずに、ただひたすら友達と遊ぶことだけを考えていました。
毎日友達と遅くまで遊び、両親が家に居ない寂しさを紛らわせていたのかもしれません。
中学時代

中学生時代はバスケットボール部に入り、寝ても覚めてもバスケットボール漬けの生活を送っていました。
家のことや勉強のことなど、嫌なことも忘れるくらい無我夢中で取り組んでいました
新チームになってからはありがたいことに副部長に選んでもらいました。
残念ながら部長ではありませんでしたが、私の性格上、仲間を鼓舞して盛り上げたり、仲間を励ましたりする事が好きだったので、副部長がちょうどよかったのかもしれません。
高校時代

「いい成績をとることも大事だが自分が得意なものを一つ見つけてそれを極めればいい」
「お前はお前らしく、人生は何度でもやり直せる。」
高校時代に恩師から授かったこの言葉で、私の人生観は変わりました。
他人と自分を比べるのではなく、私は私でいい、ありのままの自分を受け入れよう。
そう思えるようになり、心が軽くなったのを今でも覚えています。
この言葉は自分自身を励ます言葉であるとともに、人を見る時にもそうありたいという教訓でもありました。
共に笑い、共に泣き、何事にも全力で向き合ってくれた友人や恩師との出会いは、いまの私の前向きな価値観の原点となっています。
大学時代

高校卒業後は両親の勧めもあり、大学に進学しました。
大学でも、素晴らしい友人と出会う事が出来ました。しかし当時は自分が何をしたいのか、何を勉強したらよいのかわからず、途中で退学してしまいました。
その後、就職をしても、自分は何のために生きているのか、幸せとはなにか、そのような疑問を抱くようになりました。
卒業後

22歳で長男を出産、翌年には次男も生まれました。
最初の夫は育児に協力的ではありませんでした。そればかりか、まだ0歳のわが子に手をあげることも…。
子供たちを守るため、逃げるように家を出て実家に駆け込みました。
身一つで実家に帰ったものの、母の私と子供たちに対する風当たりは強く…。
二人の子供に恵まれ、幸せであるはずなのに、私は母親になってよかったのか、自問自答を繰り返す日々を過ごしていました。
精神的にも経済的にもどん底にいたこの頃の私は、子供たちの笑顔だけを頼りに毎日を必死に生きていました。
そんな中、上の子が小学生に上がった頃に出会ったのが今の夫でした。
夫との出会い

夫の経営する会社に私が勤めたことがきっかけで夫と出会いました。
不器用で、頑固で、繊細だけれど、思いやりある夫。
当時の夫は人を信じることができず、何かに怯えているように見えました。
私はそんな不器用な夫を見ていられず、夫の心の扉に土足で踏み込んでいきました。
人と心を通わせるにはまずは自分から心を開きなさい、と(笑)
彼とはしばしば(?)本気の喧嘩をします。
思ったことを正直に伝え合うのはお互いのことを真剣に考えているからなんですよね。
それも大切なコミュニケーションだと捉えているので、自然体でぶつかり合うことが私たち夫婦円満の秘訣かもしれません。
現在

夫の会社はコロナにより倒産しました。
お金も無くなり、沢山の方に迷惑をかけました。
マスクを強制させられ、人々の自由を奪い、私たち家族の幸せまで奪っていったコロナとはなんだったのだろう。世の中おかしいことばっかりじゃないか。そう思い、色々と調べていくうちに参政党と出会いました。
医療利権、食の安全、自虐史観教育、政治の仕組みなど、本来タブーとされているようなことに真っ向から切り込んでいた参政党に共感し、参加することを決めました。
地盤も看板もかばんもない、普通の主婦ですが、私にできることがあるのなら子供たちの笑顔のために挑戦したい、そんな母親の本能に駆られ、立候補を決意しました。
「自分の人生は自分で切り拓く」
「自分の選んだ道を正解にしていく」
「これしかない」と言うことは「何一つ無い。」
これが北野家の教育方針です。
次の世代の子供たち、全国のお母さんたちに、未来を切り拓く勇気をもってもらいたい。
私の生き様がその一助となれば、こんなに幸せなことはありません。

